とたいそうな題だけどこの軽く狂った世の中、妄想と現実に折り合いをつけながら自転車乗ったり酒飲んだりしながらだらだら生きていくことについてちょっと書いてみる
村上龍の話をぱくって言ってみたら~~の神様が怒る 嫌われる
たとえばサッカー選手というのは過酷な職業で手を抜こうと思ったらトコトン抜ける
練習しない(試合で)走らないets
でもそんなプレイを続けているとサッカーの神様に嫌われる
彼は小説家だけど手を抜くと小説の神様に嫌われると思うそうな
なるほどいちいちもっとも
僕に当てはめると くそったれなブルーカラー 一人親方 ある意味フリーター
でもそこそこ売り上げてる 仕事欲しいと2,3件電話するとなんとか仕事にありつける
でも手を抜こうと思うとトコトン抜ける 拘束時間が長くなると100%請求できるから美味しいけど、、、、
しかし手を抜いたり誠実に生きないと俺の職業の神様に嫌われる ここら辺は本気で思ってる 細部に神は宿るってコトワザは真実だ
この神様は無慈悲だから手抜きを許さないでも見えないとこに入れるときちんと覚えて置いてくれる
結局俺は金を稼ぐために仕事をやってると思わずに 良い仕事をするためにやってると思わないといけない(生きないといけない) 規模の大小にかかわらず金を儲けるためにやっている仕事(生き方)は醜い
たとえば人材派遣会社
企業が足りない人に登録してる人を派遣してトリプルWin(企業 人材派遣会社 登録してる人3方が儲ける)がその存在意義だったのに1万8千円の仕事を企業から取ってきて登録してる人に8千円渡し人材派遣会社が一万抜くことだけを目標にしていたグッドウイルが廃業になったのは人材派遣会社の神が怒ったと簡単に想像できる(もし人材派遣会社の神がいたら現代では貧乏神だろうが)
結局 電力会社は電気を国民が喜ぶように供給して製薬会社は良い薬を開発して患者が喜ぶように売って牛丼屋は旨くて安い牛丼でお客を喜ばすのが本道であり王道
金を稼ぐのは健全な商行為だけど金を稼ぐだけが目的では色んな意味がぼやける
そのぼやけた時にその職の神様が怒るのだろう
つまり適当にちんたら生きるのは相当な覚悟がいるってことだよなあ それもちょっと辛い、、